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Spirit
2004年1月6日・・・
さてさて、今日から物語制作日記を始めることにします。
物語はさしあたって脚本形式で、別サイトにアップしてあります。(家のマークor下のリンクからどうぞ。) まだ最初の部分だけですが、少しずつ完成させてゆく予定です。
またここでの名前の"Spirit of the Beehive"は、ヴィクトル・エリセのスペイン映画『みつばちのささやき』の英語版タイトルからとったものです。もちろん私は Spirit(精霊)ではないです。ちなみに、ペンネームは紗野ゆもん、ハンドルは"ゆもん"、リアルな名は"たなか"です。
「ストーン・サークル」
http://www.halsnet.com/~presen/scenario/index.html
Spirit はドイツ語では Geist(ガイスト)です。ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン 天使の詩』に登場する天使はガイストでもあり、映画の中で彼らは、大人の眼には見えないけれど、子供には見えるという存在になっていました。また宮崎駿の『もののけ姫』にも、森に住む大小いろいろなSpiritが登場して、自然と共に生きていた部族のアシタカには(観客にも)、それが見えていました。
たしかに大人にはSpiritが見えなくなっている。人はみな大人になるに従って、生きて行くうえで必要とされる世界や社会や人間に関する知識や技を獲得して行きます。それは、近代社会ではとくに、それまで見えていたものと引換えでなされます。そこでの見えてくるものと見えなくなってしまうものとの交換は、多少の長い期間に渡って静かに行われるため、自分の身長の伸びと同様に、その過程を目の当たりにすることはできません。
この物語は Spiritを巡る話もテーマの一つとなっています。登場する主人公たちは、プロローグを除くと、中学生三年生です。年令的には既に、かなり大人の領域に足を踏み入れています。でも平均的にはまだ少しはSpiritが見えているか、見えていた記憶の痕跡を残しているあたりにいると思います。
ところで、Spiritとは何でしょう?
物語には自然との親和性があった古代文化も登場してきます。でも別に自然vs文化という対立項を立て、自然派や縄文派としてSpiritを称揚しようというつもりはありません。またオカルトやムー系もありません。Spiritといえば、『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する日本の妖怪たちもそうです。でも、水木しげるは好きだけど、そういう目に見える妖怪たちも想定していません。(Spiritの可視化は全く否定しないどころか、おもしろいと思うけど、正教のイコンのように、そのビジュアルを通して向こうに何を見るか・感じるかが大事なのだという気がします。まあ正直、「ぬらりひょん」とかいったアヤシイ連中は、実際に近くでは見たくないですし。)
そうした、かってSpiritが持っていた価値ではなく、今の時代にそれが持つ意味を考えてみたいということなのです。
いずれにしてもSpiritは、言葉では表現しづらいものです。かといって、ビジュアルにも落としづらい。Spiritには精神や心という意味もあるけど、もしかしてそっちに近いかもしれません。そしてSpiritそのものというよりは、人の心にあるその痕跡を見つけられれば、という気がしています。もうSpiritが見えなくなってしまったような人間がその辺のところを書くというのも、もしかして限界があるかもしれないけれど・・・、どうなるやら。(まあそんな感じで、本人も書きながら少しづつ考えていこうと思ってたり。テキトー)
さて、物語の最初はプロローグです。メインの主人公の、子供時代のエピソードです。べつに子供を登場させて「つかみ」を取ろうという意図ではなく、主人公の背景(who she is / where she comes from)を説明し、その後のストーリーでのいくつかの伏線を置くためのものです。それと、当初は主人公が中3で転校するところから始まる予定だったけれど、それではちょっとありきたりかなということもあって、あらたに挿入されたものです。また話のテーマには、ちょっとした個人的なこだわりもあります。
この部分は単体でもショート・ストーリーになりそうなもので、こんなのを最初に置いたら、物語全体がかなり長くなりそうな感じもするのだけど・・・。
なお、掲示板もありますので、もし「ここはおかしい」とか「こういう風にした方がいい」といったアドバイスがありましたら、どうぞ遠慮なく書き込んでください。
それでは、幕開きです。
さてさて、今日から物語制作日記を始めることにします。
物語はさしあたって脚本形式で、別サイトにアップしてあります。(家のマークor下のリンクからどうぞ。) まだ最初の部分だけですが、少しずつ完成させてゆく予定です。
またここでの名前の"Spirit of the Beehive"は、ヴィクトル・エリセのスペイン映画『みつばちのささやき』の英語版タイトルからとったものです。もちろん私は Spirit(精霊)ではないです。ちなみに、ペンネームは紗野ゆもん、ハンドルは"ゆもん"、リアルな名は"たなか"です。
「ストーン・サークル」
http://www.halsnet.com/~presen/scenario/index.html
Spirit はドイツ語では Geist(ガイスト)です。ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン 天使の詩』に登場する天使はガイストでもあり、映画の中で彼らは、大人の眼には見えないけれど、子供には見えるという存在になっていました。また宮崎駿の『もののけ姫』にも、森に住む大小いろいろなSpiritが登場して、自然と共に生きていた部族のアシタカには(観客にも)、それが見えていました。
たしかに大人にはSpiritが見えなくなっている。人はみな大人になるに従って、生きて行くうえで必要とされる世界や社会や人間に関する知識や技を獲得して行きます。それは、近代社会ではとくに、それまで見えていたものと引換えでなされます。そこでの見えてくるものと見えなくなってしまうものとの交換は、多少の長い期間に渡って静かに行われるため、自分の身長の伸びと同様に、その過程を目の当たりにすることはできません。
この物語は Spiritを巡る話もテーマの一つとなっています。登場する主人公たちは、プロローグを除くと、中学生三年生です。年令的には既に、かなり大人の領域に足を踏み入れています。でも平均的にはまだ少しはSpiritが見えているか、見えていた記憶の痕跡を残しているあたりにいると思います。
ところで、Spiritとは何でしょう?
物語には自然との親和性があった古代文化も登場してきます。でも別に自然vs文化という対立項を立て、自然派や縄文派としてSpiritを称揚しようというつもりはありません。またオカルトやムー系もありません。Spiritといえば、『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する日本の妖怪たちもそうです。でも、水木しげるは好きだけど、そういう目に見える妖怪たちも想定していません。(Spiritの可視化は全く否定しないどころか、おもしろいと思うけど、正教のイコンのように、そのビジュアルを通して向こうに何を見るか・感じるかが大事なのだという気がします。まあ正直、「ぬらりひょん」とかいったアヤシイ連中は、実際に近くでは見たくないですし。)
そうした、かってSpiritが持っていた価値ではなく、今の時代にそれが持つ意味を考えてみたいということなのです。
いずれにしてもSpiritは、言葉では表現しづらいものです。かといって、ビジュアルにも落としづらい。Spiritには精神や心という意味もあるけど、もしかしてそっちに近いかもしれません。そしてSpiritそのものというよりは、人の心にあるその痕跡を見つけられれば、という気がしています。もうSpiritが見えなくなってしまったような人間がその辺のところを書くというのも、もしかして限界があるかもしれないけれど・・・、どうなるやら。(まあそんな感じで、本人も書きながら少しづつ考えていこうと思ってたり。テキトー)
さて、物語の最初はプロローグです。メインの主人公の、子供時代のエピソードです。べつに子供を登場させて「つかみ」を取ろうという意図ではなく、主人公の背景(who she is / where she comes from)を説明し、その後のストーリーでのいくつかの伏線を置くためのものです。それと、当初は主人公が中3で転校するところから始まる予定だったけれど、それではちょっとありきたりかなということもあって、あらたに挿入されたものです。また話のテーマには、ちょっとした個人的なこだわりもあります。
この部分は単体でもショート・ストーリーになりそうなもので、こんなのを最初に置いたら、物語全体がかなり長くなりそうな感じもするのだけど・・・。
なお、掲示板もありますので、もし「ここはおかしい」とか「こういう風にした方がいい」といったアドバイスがありましたら、どうぞ遠慮なく書き込んでください。
それでは、幕開きです。
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