■ 朝日新聞の報道「統一教会に2億9千万円賠償命令 献金巡る判決で最高額」10月03日付
すぐ「地獄〜」を言い出すのは、創価学会と統一教会の脅し文句のパターン。
■ 弁護士 紀藤正樹のブログ
2006.09.26
http://kito.cocolog-nifty.com/topnews/2006/06/post_7d6a.html
「総理安倍晋三様 これでは統一協会=統一教会擁護内閣ではないか!」
安倍首相と自民幹事長の中川秀直と法務大臣の長勢甚遠は、合同結婚式の祝電事件の「統一協会祝電コンビ」。
たぶん、思想的に気脈が合っていて、そして献金を受け取っている。でなきゃ祝電なんて打つか。
■ どこにも潜む統一協会の詐欺
あるとき電話が架かってきて、「○大学生新聞会のものですが、先輩に賛助購読をお願いしたい・・・」というものだった。
イデオロギー関係などどんな内容なのかよく分からないので断ったけど、ネットの検索であれが統一協会の詐欺だと初めて知った。
人を人として見てない、人をカモとしか見てないのは、ヤクザと同じだ。
世界基督教統一神霊協会(統一教会)の信者から、「先祖が地獄で苦しんでいる」などと脅されて多額の現金を献金させられたとして、東京都内の女性(68)が統一教会と信者に計5億4700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が3日、東京地裁であった。橋本昌純裁判長は献金集めの違法性を認め、計約2億9000万円を支払うよう統一教会などに命じた。
すぐ「地獄〜」を言い出すのは、創価学会と統一教会の脅し文句のパターン。
■ 弁護士 紀藤正樹のブログ
2006.09.26
http://kito.cocolog-nifty.com/topnews/2006/06/post_7d6a.html
「総理安倍晋三様 これでは統一協会=統一教会擁護内閣ではないか!」
安倍首相と自民幹事長の中川秀直と法務大臣の長勢甚遠は、合同結婚式の祝電事件の「統一協会祝電コンビ」。
たぶん、思想的に気脈が合っていて、そして献金を受け取っている。でなきゃ祝電なんて打つか。
■ どこにも潜む統一協会の詐欺
あるとき電話が架かってきて、「○大学生新聞会のものですが、先輩に賛助購読をお願いしたい・・・」というものだった。
イデオロギー関係などどんな内容なのかよく分からないので断ったけど、ネットの検索であれが統一協会の詐欺だと初めて知った。
人を人として見てない、人をカモとしか見てないのは、ヤクザと同じだ。
逃げる子供たちを容赦なく銃撃 [日刊スポーツ]
2004年9月3日 時事ニュース
逃げる子供20人を背後から銃撃(Ashahi.com 2004.9.3)
北オセチアでの学校占拠事件で、突然、現場周辺に響き渡った爆発音。続いて銃撃戦が始まった。たちのぼる白煙。上空を軍用ヘリが舞う。
「目の前でばたばたと子どもたち約20人が倒れた。学校から逃げ出そうとしたところを、犯人が背後から銃で撃った」
ベスラン市の工場勤務ファメーラ・ファルカザノフさん(46)は、朝日新聞の電話取材にそう語った。
紛争のタネを撒いて、火をつけ、さらにそれに油をかけて煽る奴らが多すぎる。
チェチェン独立派
武装集団・・・無理かもしれないけど、子供というカードが
どこまで通用するかやってみた。
子供まで殺すんだぞという意志を教えてやった。
ロシア・・・子供だって切り札にならんということを教えてやった。
自分たちの権益を守るためなら、人なんかいくら
死んだって構わない。
どちらも勝てない。殺し合いが果てしなく続くだけ。
軍事的に制圧・占領して傀儡政権を作るというやり方は、米国とロシア(ソ連)がそれぞれベトナムとアフガニスタンで、そしていまイラクとチェチェンでやっている手口だけど、必死に抵抗する勢力があるとスキームは崩壊する。
そして破綻してカタストロフに至るまでに、人的にも経済的にも膨大な犠牲を残すことになる。
第三者、つまり両国民が声を上げるしかない。でもチェチェンって、人口が数十万しかいないんだよね。だからプーチンも事が簡単に運ぶと思ったのだろうけど。そして殺し屋プーチンは、もう少し人口を減らせば独立なんてことも考えなくなるだろうと考えたのか、けっきょくチェチェン人の25%を間引きしてしまったみたいだけど。
どちらの側も、チェチェンには資源があるから、独立して我がものにしたい/みすみす手放したくない、という経済的な事情があるのだろうけど、その中間(両者で分ける:自治政府)で妥協するしかないと思う。
チェチェンの人口は日本の地方の中堅都市並み。もし独立しても、どのくらい国家承認を得られ、国連にも加盟できるのかどうか疑問。また、もしロシアが国境を封鎖したら、グルジアに依存することになる。
というか、もし独立したら、ゆくゆくは
なんだか金の成る木を巡るマフィア同士の勢力争いみたいだから、ちょっとうんざりする。
(そこにいたから運が悪いんだという理屈で、あるいは意図的に)子供でも殺すというのは、ロシアやイスラエルや米国や抵抗組織などの連中によってチェチェンやパレスチナやイラクでもやらてることだけど、それにしても逃げる子供を機関銃で撃ちまくるかね。気違い共。
愚かな一部サッカーファンと賢いロッテファン(ジーコとバレンタイン)(1)
2004年2月27日 時事ニュース「サッカーファンがジーコの解任求めてデモ」
今までの日本チームの監督の仕事は、攻めや守りのフォーメーション(型)をつくることだった。それは個人の能力のなさを組織力で補うということなのだろうけど、もうそのやり方では限界があることは見えている。
そもそもフォーメーション主体で試合をやるというのは、とにかく攻守の型を作らないと始まらないというレベルの低いチームが採用するか、あるいは格下相手に正攻法で押しまくることのできる強いチームが使う手なのだ。
強いチームは、相手のフォーメーションを見切れたらいくらでも対応できる。敵チームの型を崩すのが選手の仕事なのだし、身体能力の強いチームの選手はそれが楽に出来る。(前々回のフランス・ワールドカップでの日本チームの負けっぷりがそのいい例だ。あのチームの中では身体能力の高かったカズなどを外した岡田監督はタコ。あれはカズにたいしも失礼だったし。)
組織として型を持っていることは必要だろうが、中レベルのチームの戦術としては、それに加え何をやってくるか分からないというのが、相手チームにとって脅威となる。それには選手同士の有機的な連携プレーが必要になる。そこで個々の選手のいろいろな意味での能力が問題になってくるのは当然だ。要は、命令に忠実な兵隊さんのいるチームではなく、ひとりひとりが戦士のチームでなくてはならないということ。それはすでに企業社会でも言われてきたことでもあるけど。
つまり必要なのは選手が状況に応じて変幻自在にプレーできる能力を高めることで、それなくしては有機的な連携プレーはできない。それには身体能力はもちろん、意思決定・判断能力やコミュニケーション能力を高めるということでもあるが、そんなのは監督が教えてというレベルじゃない。小中学生のチームじゃないんだし、個々の選手が過去の経験の蓄積と現チームでの練習で培ってゆくしかない。つまり個人の選手それぞれに帰するところが大きいのだ。
但し、ボール扱いの身体能力や頑強な体格やセコいプレーへの適応力は、平均的に欧州や南米やアフリカの選手のほうがやはり上だ。子供の頃から外に出れば足元にサッカーボールがあるという環境は、日本にはないし。そういう意味では、はっきり言って日本チームにあまり過度な期待をかけない方がいいと思う。ただ、最低でも実際の能力に応じた成績は残してもらいたいとは思うけど。
オーマン戦のあとで中田英寿が、「もっと一人ひとりが声を出して欲しい。全然足りない」とコメントを残していたのが印象的だ。コミュニケーションという基本的な能力に問題があったら、連携プレーなんてできっこない。そのへんは経験を重ねたらある程度以心伝心でも通じ合うというレベルにもなるのだろうけど、チーム練習にあまり参加できない欧州組などもいるし、最初のうちはもっと声をかけ合う必要があるのだという中田の危機感の表れなのだと思う。
目標達成のために作られた組織というのは、組織それ自体を守ることに専念する組織と違って、変わる可能性が大きい。それは外からの強い力というより、内部に変わる要素が大いにあるのだ。やはり中田がキーパーソンだろう。予選はまだ始まったばかりだし、これから組織がどう変わってゆくかは分からない。
したがってジーコ監督の方針は間違ってなんかいないと思うし、解任デモをやるなんてのは、何を勘違いしてるのか知らないが、バカげてる。近視眼でしかものを見れないから、いまジーコが監督を辞めたらどうなるかなんて想像もできないのだろう。だいたい負けてもいない試合で、何で責任を取らなくちゃならないのだ。それにもし監督に何か責任があるというなら、その監督を招聘した協会の会長にも多少の責任はあることになる。
それにしても一部のヒステリックなサポーターって、どうしてああ気違いじみているんだろう。群れてナニ様モードの解任要求をするなどというのは、西部劇に出てくるリンチと感覚が変わらない。
それと、選手の多くがジーコ解任を望んでいるならともかく、そうでないなら監督解任要求などというのは選手にたいしても嫌がらせみたいなものだ。その影響がどこかでマイナス効果となって出てくることだってありえる。もし試合に負けたら、それは一部のバカなファンにも責任の一端があるかもしれないのだ。
今までの日本チームの監督の仕事は、攻めや守りのフォーメーション(型)をつくることだった。それは個人の能力のなさを組織力で補うということなのだろうけど、もうそのやり方では限界があることは見えている。
そもそもフォーメーション主体で試合をやるというのは、とにかく攻守の型を作らないと始まらないというレベルの低いチームが採用するか、あるいは格下相手に正攻法で押しまくることのできる強いチームが使う手なのだ。
強いチームは、相手のフォーメーションを見切れたらいくらでも対応できる。敵チームの型を崩すのが選手の仕事なのだし、身体能力の強いチームの選手はそれが楽に出来る。(前々回のフランス・ワールドカップでの日本チームの負けっぷりがそのいい例だ。あのチームの中では身体能力の高かったカズなどを外した岡田監督はタコ。あれはカズにたいしも失礼だったし。)
組織として型を持っていることは必要だろうが、中レベルのチームの戦術としては、それに加え何をやってくるか分からないというのが、相手チームにとって脅威となる。それには選手同士の有機的な連携プレーが必要になる。そこで個々の選手のいろいろな意味での能力が問題になってくるのは当然だ。要は、命令に忠実な兵隊さんのいるチームではなく、ひとりひとりが戦士のチームでなくてはならないということ。それはすでに企業社会でも言われてきたことでもあるけど。
つまり必要なのは選手が状況に応じて変幻自在にプレーできる能力を高めることで、それなくしては有機的な連携プレーはできない。それには身体能力はもちろん、意思決定・判断能力やコミュニケーション能力を高めるということでもあるが、そんなのは監督が教えてというレベルじゃない。小中学生のチームじゃないんだし、個々の選手が過去の経験の蓄積と現チームでの練習で培ってゆくしかない。つまり個人の選手それぞれに帰するところが大きいのだ。
但し、ボール扱いの身体能力や頑強な体格やセコいプレーへの適応力は、平均的に欧州や南米やアフリカの選手のほうがやはり上だ。子供の頃から外に出れば足元にサッカーボールがあるという環境は、日本にはないし。そういう意味では、はっきり言って日本チームにあまり過度な期待をかけない方がいいと思う。ただ、最低でも実際の能力に応じた成績は残してもらいたいとは思うけど。
オーマン戦のあとで中田英寿が、「もっと一人ひとりが声を出して欲しい。全然足りない」とコメントを残していたのが印象的だ。コミュニケーションという基本的な能力に問題があったら、連携プレーなんてできっこない。そのへんは経験を重ねたらある程度以心伝心でも通じ合うというレベルにもなるのだろうけど、チーム練習にあまり参加できない欧州組などもいるし、最初のうちはもっと声をかけ合う必要があるのだという中田の危機感の表れなのだと思う。
目標達成のために作られた組織というのは、組織それ自体を守ることに専念する組織と違って、変わる可能性が大きい。それは外からの強い力というより、内部に変わる要素が大いにあるのだ。やはり中田がキーパーソンだろう。予選はまだ始まったばかりだし、これから組織がどう変わってゆくかは分からない。
したがってジーコ監督の方針は間違ってなんかいないと思うし、解任デモをやるなんてのは、何を勘違いしてるのか知らないが、バカげてる。近視眼でしかものを見れないから、いまジーコが監督を辞めたらどうなるかなんて想像もできないのだろう。だいたい負けてもいない試合で、何で責任を取らなくちゃならないのだ。それにもし監督に何か責任があるというなら、その監督を招聘した協会の会長にも多少の責任はあることになる。
それにしても一部のヒステリックなサポーターって、どうしてああ気違いじみているんだろう。群れてナニ様モードの解任要求をするなどというのは、西部劇に出てくるリンチと感覚が変わらない。
それと、選手の多くがジーコ解任を望んでいるならともかく、そうでないなら監督解任要求などというのは選手にたいしても嫌がらせみたいなものだ。その影響がどこかでマイナス効果となって出てくることだってありえる。もし試合に負けたら、それは一部のバカなファンにも責任の一端があるかもしれないのだ。