縄文から近世アイヌまで
2004年1月21日自分の住んでいる土地の歴史について、あまりよく分かっていない。歴史は、先祖が本州(北陸加賀)から渡ってきた明治時代から始まっていたのだ。
で、ほんとうは以下のようになってるらしい。
北海道 本州
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先土器
↓ 縄文
縄文 ↓
↓ 弥生
続縄文 古墳
↓ オホーツク文化
擦紋
↓
アイヌ文化(12世紀)
↓
・・・・
ストーンサークルは縄文後期(約3,500年前)、手宮の洞窟壁画は続縄文(3〜6世紀)のものとされている。そして縄文から近世アイヌ文化に至るまで、連続している。つまり、縄文人もアイヌも同じということです。(ただしオホーツク文化は別系統)
そのへんは思い違いをしていた。というのは、アイヌの歌人違星北斗が古代遺跡について書いた「疑ふべきはフゴッペの遺跡」に、「古代先住民は非アイヌ」とあったからです。彼がそう考えたのは、アイヌとは別の民族がいたというコロポックル伝説の存在が、大きく影響していたのかもしれない。それに加え、アイヌと「先住民」それぞれの石への親しみの度合いや、偶像・具象物製作にたいする禁忌などの違いなどから、両者は別系統と結論されたものだ。それで、古代先住民がいて、アイヌとの争いに敗れてどこかに消え去っていったのだとばかり思ってた。
明治時代にその辺に関して論争があったようだけど、今は形質人類学などの研究もあり、異なる民族ではなく、連続してるということになってるらしい。
つまり、ストーンサークルを造成したのも、洞窟壁画を描いたのも、アイヌの祖先=縄文人であるということ。言い方を変えると、古代遺跡を残した人たちの末裔が、アイヌのひとたちであるということです。
ストーンサークルは人間の生死観に関わっているし、洞窟壁画はシャーマニズム関連なので、文化的にはアイヌとはちょっと異なる。最近はアイヌにもシャーマンがいたというという話も出てきたようだけど、文化というのは変わるものだということかな。
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えーと、昨日の卵に関する話、わたしゃ責任は持てません。(^ ^;) もし 卵の食べ過ぎ→高コレステロール が原因で病院のお世話になることがあったとしても、訴えたり呪ったりしないでねっ。
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