イラクを巡るチンピラの抗争
2004年2月11日 昔々あるところに、帝国のチンピラ番長ブッシーちゃんと副番長トニーちゃんがいました。そして少し離れたところに、サダムちゃんという、何かとブッシーちゃんに敵対しているチンピラがいました。昔は帝国と仲が良かったのだけど、調子に乗ってシマを拡大しようとして、ブッシーのお父ちゃんたちから一度ひどくボコられたことがあります。
ブッシーちゃんの後ろには、ネオコンというあやしいボンボン連中がついていて、「生意気なサダムは金づるを持ってるし、あそこのシマを乗っ取ろうよ」と、さかんに頭の悪いブッシーちゃんを焚きつけます。
そうしたこともあってチンピラ番長ブッシーちゃんは、トニーちゃんや他のチンピラ仲間を誘って、サダムちゃんに因縁をつけ、ボコってシマを手に入れようと決心しました。
でも仲間は集まるどころか、反対する声の方が支配的でした。特にサダムちゃんとこっそり仲良しのシラクちゃんなんかは、猛烈に反撥しました。仲間に加わったのは、いつも強い者の顔色を窺ってばかりいるような、プライドのないチンピラばかりでした。
それでもブッシーちゃんとトニーちゃんの二人は、サダムちゃんにイチャモンをつけ、とうとうケンカを吹っかけてしまいます。そして両者のガタイは全然違うので、サダムちゃんはすぐにボコボコにされ、シマを取られてしまいました。
さてブッシーちゃんたちはそうして乗っ取ったシマを、今度は仕切って行かなければなりません。言ってみればそのシマを支配する総督になったのだから、人心を掌握して、きちんと運営して行かなければならないのです。でもそのシマは、ケンカによって破壊されたり、タガが外れて混乱状態にあり、さらにはサダムちゃんの手下などが隠れてあっちこっちで悪さをしているのだから、そう簡単には事が運びません。それで自分たちだけで仕切るのは大変と、番長は他のチンピラにも仲間に加わるように要請します。「でなきゃ、分け前にあずかれないぞ」というわけです。さらには、ケンカにかかった費用もカンパしろ、と言ったりします。それで分け前のおこぼれ欲しさと番長への忠誠を示すため、何人かのチンピラが集まってきました。そこには尻尾を振って従ったパシリ役のチンピラ、純ちゃんの姿もありました。とさ。
*
そもそもイラク戦争は、利権獲得やイラクに親米政権を立てるために米英が開戦の口実をデッチ上げ、国連での合意も得られず、国際法も無視して行われたものだ。米英のイラクへの開戦には国際法学者がこぞって反対したが、それは彼らのやっている学問や仕事を台無しにするような無法行為だからである。(米国が国連で武力行使の同意を得られなかったを、国連が機能しないので役割を見直しすべしとスリ変えていたメディアもあったけど。)
現在はイラクの統治が米英だけでは(抵抗が大きく、またコストがかかることもあって)うまく進みそうもないので、国連主導でという流れになってきているが、戦争目的の遂行の本質は変わっていない。そこへ出動するということは、いくら人道支援というお題目を唱えたとしても、占領軍になるということだ。帝国軍のパシリをやるなど、特定の国々の戦争目的遂行のために出動するのは、国際貢献などとは言わない。
フランスがイラクへの武力行使に頑強に反対したのは、米国のやり方があまりに理不尽なことだけでなく、もちろん石油権益を侵害されることにたいする当然の反発もあっただろう。フランスはそれなりにご都合主義で現実打算的ではある。
だがもし欧州連合(EU)がない時代だったら、フランスも別な対応をしていたかもしれない。「二度と欧州を戦場にしない」という理念から出発したEUは、たんに市場統合などの経済共同体だけでなく、「民主主義、法の支配、人権尊重や国家間の平和的協調」という倫理・理念の共有を諸国間の統合の核としている。そしてそれは死刑廃止や戦争犯罪の告発・裁判というところにも象徴的に表れている。
理念は法というシステムにおさまって、制御と執行力を持つようになる。法は、一面では暴力の後追い承認という役割もあるが、もう一面で暴力に枠をはめるという機能も持ちあわせる。理念というのは突出したらあぶないのだ。
最初から理念を持ったチンピラ集団がナチスだったし、革命の理念がゴロツキの方便になって大量粛清をやったのがソ連だった。そして理念に突出した宗教がイスラム教原理主義(アル・カイダ)やキリスト教原理主義(ブッシュJr.)で、そこでは煽りの常套手段である独善的な善悪二元論がまかりとおる。
*
ほんらい自衛隊は日本の国民の生命財産を守るためにある。それに加え国際貢献(PKO/PKF)も役割とするなら、自衛隊(またはPKO/PKF 国連平和維持部隊)の隊員に、国際秩序(法)を守るために、もしかして死ぬことになるかもしれないということを納得してもらわなければならない。またそのことでの広い合意も必要だ。
だが国際貢献や人道支援というのは名目だけで、実際は利権がらみの戦争の分け前をもらうために出動するときは、国益という名のもとで、金のために死んでもらうことになるのだ。はたしてそれでいいのかどうか、そのへんの合意ができているのかどうかという議論があまりなされていない。派遣される隊員も、かなりの特別手当が出るからいいのか、その出費ために税金をたくさん使っていいのか、ということも含め。
*
旭川で編成された兵員500人(予備100人)の部隊というと、戦争中、ガダルカナルで玉砕した一木支隊を思い出してしまった。ほんとうはミッドウェイへの上陸部隊だったのが、機動部隊の空母が四隻とも撃沈され作戦中止となって、ガ島に転用されたものだ。
太平洋戦争の初期、日本軍は快進撃を続けたので、これはいけそうだと軍隊に志願する者が多かったとか。でも結局、たくさん死んでいった。
何のために熱帯の密林の中で死ななければならなかったのかということは、後世に伝えて行くべきことなのだろう。例えば大岡昇平によって戦記として書かれたように。
「レイテ島の戦闘の歴史は、健忘症の日米国民に、他人の土地で儲けようとする時、どういう目に遭うかを示している。それだけではなく、どんな害をその土地に及ぼすものであるかも示している。その害が結局自分の身に跳ね返って来ることを示している。死者の証言は多面的である。レイテ島の土はその声を聞こうとするものにとっては聞こえる声で、語り続けているのである。」(大岡昇平『レイテ戦記』―― エピローグ)
ブッシーちゃんの後ろには、ネオコンというあやしいボンボン連中がついていて、「生意気なサダムは金づるを持ってるし、あそこのシマを乗っ取ろうよ」と、さかんに頭の悪いブッシーちゃんを焚きつけます。
そうしたこともあってチンピラ番長ブッシーちゃんは、トニーちゃんや他のチンピラ仲間を誘って、サダムちゃんに因縁をつけ、ボコってシマを手に入れようと決心しました。
でも仲間は集まるどころか、反対する声の方が支配的でした。特にサダムちゃんとこっそり仲良しのシラクちゃんなんかは、猛烈に反撥しました。仲間に加わったのは、いつも強い者の顔色を窺ってばかりいるような、プライドのないチンピラばかりでした。
それでもブッシーちゃんとトニーちゃんの二人は、サダムちゃんにイチャモンをつけ、とうとうケンカを吹っかけてしまいます。そして両者のガタイは全然違うので、サダムちゃんはすぐにボコボコにされ、シマを取られてしまいました。
さてブッシーちゃんたちはそうして乗っ取ったシマを、今度は仕切って行かなければなりません。言ってみればそのシマを支配する総督になったのだから、人心を掌握して、きちんと運営して行かなければならないのです。でもそのシマは、ケンカによって破壊されたり、タガが外れて混乱状態にあり、さらにはサダムちゃんの手下などが隠れてあっちこっちで悪さをしているのだから、そう簡単には事が運びません。それで自分たちだけで仕切るのは大変と、番長は他のチンピラにも仲間に加わるように要請します。「でなきゃ、分け前にあずかれないぞ」というわけです。さらには、ケンカにかかった費用もカンパしろ、と言ったりします。それで分け前のおこぼれ欲しさと番長への忠誠を示すため、何人かのチンピラが集まってきました。そこには尻尾を振って従ったパシリ役のチンピラ、純ちゃんの姿もありました。とさ。
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そもそもイラク戦争は、利権獲得やイラクに親米政権を立てるために米英が開戦の口実をデッチ上げ、国連での合意も得られず、国際法も無視して行われたものだ。米英のイラクへの開戦には国際法学者がこぞって反対したが、それは彼らのやっている学問や仕事を台無しにするような無法行為だからである。(米国が国連で武力行使の同意を得られなかったを、国連が機能しないので役割を見直しすべしとスリ変えていたメディアもあったけど。)
現在はイラクの統治が米英だけでは(抵抗が大きく、またコストがかかることもあって)うまく進みそうもないので、国連主導でという流れになってきているが、戦争目的の遂行の本質は変わっていない。そこへ出動するということは、いくら人道支援というお題目を唱えたとしても、占領軍になるということだ。帝国軍のパシリをやるなど、特定の国々の戦争目的遂行のために出動するのは、国際貢献などとは言わない。
フランスがイラクへの武力行使に頑強に反対したのは、米国のやり方があまりに理不尽なことだけでなく、もちろん石油権益を侵害されることにたいする当然の反発もあっただろう。フランスはそれなりにご都合主義で現実打算的ではある。
だがもし欧州連合(EU)がない時代だったら、フランスも別な対応をしていたかもしれない。「二度と欧州を戦場にしない」という理念から出発したEUは、たんに市場統合などの経済共同体だけでなく、「民主主義、法の支配、人権尊重や国家間の平和的協調」という倫理・理念の共有を諸国間の統合の核としている。そしてそれは死刑廃止や戦争犯罪の告発・裁判というところにも象徴的に表れている。
理念は法というシステムにおさまって、制御と執行力を持つようになる。法は、一面では暴力の後追い承認という役割もあるが、もう一面で暴力に枠をはめるという機能も持ちあわせる。理念というのは突出したらあぶないのだ。
最初から理念を持ったチンピラ集団がナチスだったし、革命の理念がゴロツキの方便になって大量粛清をやったのがソ連だった。そして理念に突出した宗教がイスラム教原理主義(アル・カイダ)やキリスト教原理主義(ブッシュJr.)で、そこでは煽りの常套手段である独善的な善悪二元論がまかりとおる。
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ほんらい自衛隊は日本の国民の生命財産を守るためにある。それに加え国際貢献(PKO/PKF)も役割とするなら、自衛隊(またはPKO/PKF 国連平和維持部隊)の隊員に、国際秩序(法)を守るために、もしかして死ぬことになるかもしれないということを納得してもらわなければならない。またそのことでの広い合意も必要だ。
だが国際貢献や人道支援というのは名目だけで、実際は利権がらみの戦争の分け前をもらうために出動するときは、国益という名のもとで、金のために死んでもらうことになるのだ。はたしてそれでいいのかどうか、そのへんの合意ができているのかどうかという議論があまりなされていない。派遣される隊員も、かなりの特別手当が出るからいいのか、その出費ために税金をたくさん使っていいのか、ということも含め。
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旭川で編成された兵員500人(予備100人)の部隊というと、戦争中、ガダルカナルで玉砕した一木支隊を思い出してしまった。ほんとうはミッドウェイへの上陸部隊だったのが、機動部隊の空母が四隻とも撃沈され作戦中止となって、ガ島に転用されたものだ。
太平洋戦争の初期、日本軍は快進撃を続けたので、これはいけそうだと軍隊に志願する者が多かったとか。でも結局、たくさん死んでいった。
何のために熱帯の密林の中で死ななければならなかったのかということは、後世に伝えて行くべきことなのだろう。例えば大岡昇平によって戦記として書かれたように。
「レイテ島の戦闘の歴史は、健忘症の日米国民に、他人の土地で儲けようとする時、どういう目に遭うかを示している。それだけではなく、どんな害をその土地に及ぼすものであるかも示している。その害が結局自分の身に跳ね返って来ることを示している。死者の証言は多面的である。レイテ島の土はその声を聞こうとするものにとっては聞こえる声で、語り続けているのである。」(大岡昇平『レイテ戦記』―― エピローグ)
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