(イラク問題、別の方でやると言ったけど、こっちでも思いっきし書きます。)

海外協力

 以前教育TVで神話学者ジョーゼフ・キャンベルの『神話の力』というインタビュー番組をシリーズでやっていて、彼が亡くなる数ヶ月前に録画された最終回でキャンベルは、「誰ひとりとして自分の意図したとおりの人生を送る人はいない」と言っていた。 それは、われわれの人生は他の人の人生とつながり合い影響を及ぼしているから、誰もひとりですべてを決定できるものではないということを意味している。そしてそれは古代インド思想で「宝石の網(Net of gem)」という、宝石は他の宝石の光を相互に反射し合って輝くという考え方に由来すると説明されていた。

 と、だいぶ前に書いたものをまた引っぱり出してきたのは、いろんなものがつながっているということを言いたかったからです。
 いま世界中の発展途上国に、日本人がNGOや青年海外協力隊や個人ボランティアなどで行ってます。もしかして彼らは、ショボいNGOだったり、ヒューマニズムに駆られただけの単純な若者だったり、第二の人生を人の役に立てたいという定年退職者だったり、ときには左翼的市民団体のメンバーだったりするかもしれない。でも、それぞれにどういう動機や思想的バックボーンがあるにしても、困窮してる国の人にとっては、外国人が来て援助してくれるというのはすごくありがたいことなのだ。日本人が来て助けてくれたことは、そこの土地でずっと語り継がれてゆくのです。
 そうして彼らが日本という国や日本人のイメージアップに貢献して、それがまた日本企業のビジネスを後押しすることにもつながってゆく。もちろんビジネスだけじゃなく、文化や人的な交流なども含め、お互いが豊かになってゆくことができるわけです。

 
 それはまた東浩紀氏が「波状言論::はてな出張所」のコメント欄で、
「NGOの方々が単身で乗り込んで、結果として日本のイメージを上昇させ、日経株価とか押し上げて国家に経済的利得を与えた場合、その分お金をくれるのでしょうか。そうでないのであれば、損害を与えたときだけ取り立てるのはフェアではありません。」
と書いていることにも関連します。

 
Letter from Yochomachi
Le Monde 翻訳「日本では人質は解放されるための費用を払わねばならない」
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C394170269/index.html

・・・タイトルの「人質が費用を払う」というのがどういう印象を与えるかというとオーウエルの『1984年』とか映画「未来世紀ブラジル」です。あそこでは公安警察が容疑者を逮捕するとその取り調べ(拷問)費用と処刑費用は容疑者家族が負担するという制度となってました。

 このルモンド記事を翻訳された余丁町散人さんは商社におられた方なので、日本イメージの重要さを分かってられて、それで欧州でのイメージ低下を懸念されているのだと思います。私も、この方のキャリアから比べたら全然たいしたことないけど、いちおう小さい商社にいたことがあるので、同じようなことを思ったりします。
 ちょっと表現が大袈裟かもしれないけど、仕事で外国に行くとみんな所属や主義主張を超えて「日本人」になるのです。普段は日の丸には好き嫌いも思い入れもないニュートラルな気持ちしか持っていないけど、外国の会社を訪問したとき建物の前のポールに歓迎の意味で日の丸が上がってるのを見たりしたら、なんとなく嬉しいものです。
 おそらく途上国の「こんなところに…」というような場所で日本人が働いてるのに遭遇したら、たぶん感慨が湧いてくると思います。どんな組織の所属かなんてあまり関係ない。商社マンや外務省職員にもいろんな人がいると思うけど、たぶんそういうのを大事に思ってる人も多いんじゃないかと思う。

 そうして途上国で働いてる人たちから比べたら、脳内だけで無責任だとか迷惑だとか喚いてる立派な人たちなんか、うるさいだけで何の役にも立ちやしない。少しは論理的思考でも展開してくれるならいいけど、無意識にある妄想やルサンチマンや自己愛的心情を体裁よく吐き出してるだけ。そうやってまるで小姑の集団みたいに「自己責任だ、費用請求だ」とか合唱して糾弾をやってる。
 そして人質の家族も、必死なのは分かるけど、支援団体の政治運動とも連動してヒステリックにやるものだから、けっきょく墓穴を掘ってしまってる。そして両者の合わせ技によって、三人はまるで悪いことしたみたいに日本に帰って来てる。それがどんなに異様なことか、パウエルやルモンドに教えてもらっても分からない人が多いらしい。それどころか、「自己責任だ」という主張の喧伝じたいが一種の情報操作であり、三人の仕事を貶めるために利用されているということにも気がつかない。実際、迷惑をかけた無責任な人たちということにされ、今のところその効果は表れているわけだけど。

 そうした自己責任−費用請求の根拠として例えば登山の遭難時のケースに喩える見解もあるけど、長期間滞在してその土地の人々のために働くNGOやボランティアと、自分が楽しむために行なう登山とを比較することなどできない。またその延長にある山の清掃ボランティア然りである。さらには、ジャーナリストにたいし誘拐されたから責任を負えというのも、相当に異様な話なのだ。

 
フランスって
またイラクには行きます−人質となっていたフランス人ジャーナリスト
http://france.blogtribe.org/

 18才の大学生は別として、大人の二人もほんらいはこうなるはずなのだ。

 
煽り社会
別の方のblogに。

 
『蛍』関連
19日の「蛍」を少し修正。

       *
 
 それにしてもどうしてみんな急に、校則を守ろうという生活指導教諭みたいなこと言い出したり、国家の財政支出に関心を持ち始めたり、人に迷惑をかけた子供を持った親の振りをしてみたり、テレビ映りを気にしながら迷惑顔や怒った顔をしてみせる政府首脳に感情移入したりするのでしょう。

(B面へ続く)

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索