寛容さ

2004年4月27日
「寛容さ」というのが大事だとつくづく思う今日このごろ。それに欠けるところがある人間の言うセリフじゃないけど。

「寛容」になるためには(それができたら苦労はないよというシロモノですが)、(1) 自分にとって都合の良し悪しに関係なく他人を「他者」として認知すること、(2) 現状の枠組み(敵対・妬み・利害対立などの関係)の外に出て、高い視点から相手に憐れみの情をかける、というのがあると思う。でもまあ、口で言うほど簡単なことではないことも確かだし、それより自分に出来ないことを書いてどうする、って感じですが。あと、人が死すべき存在だというのもあるけど、それは難易度高い。

 
ていうか、大荒れが一転凪になったのですか。w>CUCKOO ROBINさん

       *

[イラク人質問題に関する二人の精神分析医のコメント]

斎藤環
日本人は『判官びいき』という弱者に昧方する感性がある。しかし主張する弱者は嫌いだ。主張する強者よりも憎まれる。家族や本人を叩いても批判されないから、右にならえとなった、本当の意昧での自己責任が定着するにはあと百年はかかる。今言われている自己責任論の内実は非常に情緒的な『主張する弱者」叩きのメンタリティーだ。

斎藤学(東京新聞記事からの引用)
「自己責任論」に代表される本人や家族へのバッシングは「女子ども問題。子どものくせに、女のくせにという感情が根底にある」と分析する。さらに「政府を批判するなど、日本人に期待される家族像ではなかったということもある。日本人の感覚では、そこは謝罪すべきだというのがある。自分に理解できないものへの反発が一気に広がった。中年男に宿っている、そこはかとない嫌悪感が一気に噴き出した。」

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