ギャラリーでのイコン
2004年4月28日前回はホントに「かな漢字を憶えた三歳児」のような日記を書いてしまったので(汗)、今日は精神年令アップ目指します。
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近所に小さいギャラリーがあって、現代アートを中心とした展示をやっているのだけど、今日通りかかってなにげに入ってみたら、イコン展をやっていた。白石孝子という日本のイコン画家が、アクリルを使ってロシアのイコンを模写したもので、キリスト教の東方正教で節目となる十二の聖書のテーマが描かれている。
でも、なんていうか、やっぱり文脈から切り離されてギャラリーに美術品として並べられたイコンは、アウラみたいなものが感じられない。アドルノが美術館のことを芸術作品の墓所のようなものだと言ったのとも似て、対象とのたしかな距離関係がとれないのだ。そもそも信仰を持っているわけではないので聖書の物語にたいして外にいる感覚があるし、絵のほうも遠近法やグラディエーションなどないビザンチン様式の平板なものなので、作品に心情的な投影をして鑑賞するという態度もとれないということなのだ。
イコンというのは、それじたいが崇拝や礼拝の対の対象になるものではなく、イコンを通して神や聖書の世界に触れる媒介の役割をするのだとされている。個人的にはキリスト教のなかでも東方正教はカソリックやプロテスタントよりも関心を持ってるので、イコンを鑑賞の対象としてではなく、正教会の聖堂という空間で向き合ってみたいと思っていたのだけど……。
それでもアンドレイ・ルブリョーフの有名なイコン「三位一体」を模写したものがあったり、イエスの描かれている絵のなかに天から地に向かって三方向に▼の形をした聖霊が放射されているのがあったりして、天使の羽根も聖霊も灰黒色に描かれているのがちょっと意外な気がしたけれど、いろいろ参考になった。
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近所に小さいギャラリーがあって、現代アートを中心とした展示をやっているのだけど、今日通りかかってなにげに入ってみたら、イコン展をやっていた。白石孝子という日本のイコン画家が、アクリルを使ってロシアのイコンを模写したもので、キリスト教の東方正教で節目となる十二の聖書のテーマが描かれている。
でも、なんていうか、やっぱり文脈から切り離されてギャラリーに美術品として並べられたイコンは、アウラみたいなものが感じられない。アドルノが美術館のことを芸術作品の墓所のようなものだと言ったのとも似て、対象とのたしかな距離関係がとれないのだ。そもそも信仰を持っているわけではないので聖書の物語にたいして外にいる感覚があるし、絵のほうも遠近法やグラディエーションなどないビザンチン様式の平板なものなので、作品に心情的な投影をして鑑賞するという態度もとれないということなのだ。
イコンというのは、それじたいが崇拝や礼拝の対の対象になるものではなく、イコンを通して神や聖書の世界に触れる媒介の役割をするのだとされている。個人的にはキリスト教のなかでも東方正教はカソリックやプロテスタントよりも関心を持ってるので、イコンを鑑賞の対象としてではなく、正教会の聖堂という空間で向き合ってみたいと思っていたのだけど……。
それでもアンドレイ・ルブリョーフの有名なイコン「三位一体」を模写したものがあったり、イエスの描かれている絵のなかに天から地に向かって三方向に▼の形をした聖霊が放射されているのがあったりして、天使の羽根も聖霊も灰黒色に描かれているのがちょっと意外な気がしたけれど、いろいろ参考になった。
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