地図と鉱石の小さな博物館
2004年5月1日 つい最近オープンした、地図と鉱石をテーマとした博物館に行って来た。その建物は、バブルのころ派手なことをやっていてその後消滅した会社が所有していたもので、そういう意味でもちょっと話題性があったのかもしれない。入場料大人200円。でも入ってみたら、展示スペースは学校の教室よりも一回り狭いくらいのが一階と地階にあるだけで、さらに受付けや無駄なスペースもあって、かなり小規模なものだった。建物の一部を使っているだけで、博物館といえるほどの規模じゃない。展示内容は、各種の鉱石が陳列棚や一部テーブルに置いてあったり、地質図や古地図、それに測量関係や火山噴火の写真パネルが壁に掛かっていたりするという、なんていうか、いろんなものをただバラバラに飾っているというだけ。前もってどんな展示物があるのかは知っていたので、それらをどういうコンセプトで結びつけるのか、あるいは展示のこだわりや方法に大いに興味を持っていたのだけれど、けっきょく高校の文化祭などのほうがよっぽど見てもらうことに工夫してるって感じだ。照明もただ明るいだけだし。鉱物も古地図も好きだけど、強い思い入れがあるというほどのものではないので、ちょっと途方にくれる。そもそも何のためにこの博物館を作ったのかが分からなかった。
一昨日に書いたギャラリーでのイコン展示のケースと似てるけど、イコンは聖書の物語世界を表現する力がある。でもそこの博物館では、鉱物や古地図が文脈からも物語からも途絶された単なるモノとして、それこそ「博物館はモノの墓場みたいなもの」といった感じで、生気を失って並べられている。鉱石や古地図がかわいそうな気がした。
リピーターはほとんどいないんじゃないかと思えるので、建物は残っていても博物館は数年以内になくなってるような気がする。
ただ、こう書いてきたけど、単に対象物に対する思い入れが足りないだけなのかもしれないとも思った。好きな絵画のある美術館で至福に浸っていられることもあるので、鉱石や古地図が大好きな人にとってはたまらない空間なのかもしれない。
*
一般には陳列だけの博物館というのは、もう今の時代にはそぐわないところがあって、知と体感が結びついたインタラクティブなおもしろさとか、アミューズメントを通して知を学ぶといったことが要求されてきているようです。
一昨日に書いたギャラリーでのイコン展示のケースと似てるけど、イコンは聖書の物語世界を表現する力がある。でもそこの博物館では、鉱物や古地図が文脈からも物語からも途絶された単なるモノとして、それこそ「博物館はモノの墓場みたいなもの」といった感じで、生気を失って並べられている。鉱石や古地図がかわいそうな気がした。
リピーターはほとんどいないんじゃないかと思えるので、建物は残っていても博物館は数年以内になくなってるような気がする。
ただ、こう書いてきたけど、単に対象物に対する思い入れが足りないだけなのかもしれないとも思った。好きな絵画のある美術館で至福に浸っていられることもあるので、鉱石や古地図が大好きな人にとってはたまらない空間なのかもしれない。
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一般には陳列だけの博物館というのは、もう今の時代にはそぐわないところがあって、知と体感が結びついたインタラクティブなおもしろさとか、アミューズメントを通して知を学ぶといったことが要求されてきているようです。
「博物館は科学を啓蒙する場所から新しい知的創造を行う場所へと変化していく必要がある。」(奥出直人)
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