きょうの駄日記

2004年6月9日
■ 6月6日の補足
「いじめは、社会的構造的現象であって、個人的心理的現象ではない。」という人もいます。ただ、いじめの起きないない職場や学級もあるので、すべて社会現象として理解することはできないと思う。機能的組織が孕んでしまう問題と、その中で個人の持っている心理的偏りが出てしまうのと、両方あるといえる。

素だけでやってる人というのは、たぶん天然100%な人のことだ。また、平然と裏表を使い分けられる類の人間も、特にたくさんいるわけではない。多くの人は素のほかに、状況に応じて対応を変えながらやっていて、上記ふたつの間に分布している。

<集団のメンバー構成>
自然度大

|■ 天然に素
|■■■ 自然に素
|■■■■■■■■■■■■ 素+裏表使い分け(どうにも転ぶ)
|■■■ 自然に裏表使い分け
|■ 病的に裏表使い分け

裏表度大

会社などでも、よく働く人間が20%、働かない人間が20%、どっちにも転ぶ人間が60% という構成になっているとされる(パレートの法則)。中間の60%がどちらにつくかによって、業績のいい会社かそうでないかに分かれるので、いかに中間層のモチベーションを上げるかが問題とされる。
ちなみに役所というところは、(もちろんすべてではないけど)中間層が働かないほうにつくケースが多いので、「役人はさっぱり仕事してへんやないか」と言われることにもなったりするようです。(役所や企業などでは、正しいことを主張していじめられることもあったり。)
尚、働く人働かない人は必ずしも固定というわけではないです。知り合いに、「よく働く営業マンばかり集めて新しい営業部隊を作ったら、こんど働かないやつが出てきたんだから」とこぼしてた人がいた。

いじめは、ふつうは天然か自然に素の人がターゲットにされることが多いけど、裏表の使い分けが酷くて嫌われてる者がいじめられるケースもありそう。いずれにしても、人数の多い中間層がいじめる側について、いじめという構図ができあがるのだと思う。

人間関係はいろいろとたいへんです。
できるだけ人間関係を作らないほうがいいです・・・って、うそうそ! それじゃ面白くないし、生きていくのも大変です。人間関係は、いつの間にかできてしまってることが多いけど、自ら選んで作っていくことも大事かもしれません。言い方がエラそうですけど。ていうか、言ってることとやってることがカンペキに矛盾してますが。 ちなみに私はリアルでの人間関係がかなり希薄になってきました。(笑…うしかない)

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索