Education

2004年9月18日
もうひとつの方のwebLogサイトに、米国の学校に通っている17歳の日本人の女の子のblogがあるのですが、そこで書いてること(哲学・思想関係など)がなかなかハイレベルなので、けっこう注目を浴びてます。つい最近高校を卒業して、今はどこかの大学に入ったみたいだけど、私なんかも読んでてとても勉強になります。w いえ、単に知識があるってだけじゃなく、とても筋がいいという感じ。
で、日本の大学院生並みのことを書いているのですが、もともと頭の良さや資質の高さがというのがあるにしても、たぶん環境も大きく影響してるのではないかと思っています。つまり、もし米国ではなく日本の高校に通っていたら、どうなっていただろうと。
フランスの高校では哲学の授業があって、数学や英語よりも多い時間をとって本格的にやるらしい。米国も同様なのかもしれない。
哲学や思想を学ぶということは、自分と社会や(いろんな意味での)世界との関わりを見つけていくということなのだと思う。逆に世の中と向き合ってそしたことを考える過程で、社会や世界が意識にあがってもくるのだろうし。そして思考は論理として言葉で表現しなければならないので、欧米では論理的思考やディベートといった学習も受けることになる。
おそらくそのへんのところで、日本の学校と欧米の学校の差が出てくるものと思える。日本の学校でやる「倫理」などは暗記科目みたいなものだし、それよりそもそも倫理や哲学を深くおもしろく上手に教えられる教師は、あまりいないだろうし。
それと日本の中高生は、社会や外の世界に向かうとか、何か自分で勉強したいとか思っても、その前に受験勉強や周囲の人間関係(グループ作りやその維持、部活、家庭など)でエネルギーを消耗してしまっているような気がする。

で、その米国の大学に行ってる女性のblogですが、世の中には、とくに才能ある若い女性にたいし、妬んだりひがんだりする男共がいるみたいで、「17歳なのに偉そうだ」とか「ほんとはオヤジなんだろう」とか「たいしたことない」とか、いろいろネットでやっかみを言ってるみたいです。まあ、才能ある人間を見たら、自分たちの頭の悪さやみじめさを思い知らされて、それを他人に投影(*) する人間ってけっこういますしね。
*投影:自分の持ってる後ろめたいことを、他人が持ってることにしてしまう心理のこと。

educationという言葉は日本では「教育」と訳されているけど、もともとは花などを開かせるという意味らしい。才能ある人は、あまり「教育」には期待せず、でも利用できるところは利用して、自らの才能を拓かせていってほしいと思います。 まったく余計なお世話ですけど、はい。

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