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犬と救助
2006年1月23日
どうして私はこうもタイミング遅れた人なのでしょう。
第2週水曜日フジテレビ「トリビアの泉」の話題なので、ほんとに出遅れなのだけど…、「飼い主が散歩中倒れたときに、適切な行動をとれるイヌは100匹中何匹?」というのをやっていた。
突然飼い主がフェイクで倒れて、それから犬がどういう行動をとるのかをカメラで撮影するというもの。
はたしてスイスのセントバーナード犬みたいに災難救助犬として活躍するのか? そして犬を対象にしたドッキリ番組みたいなものなので、あとで犬はヤラセとわかって 「な〜んだ、そうだったのか〜! ワンワン!」と言うか?
え? 後者の方は望み薄い? まあ、そうでしょうね。
でも何らかの方法で飼い主の危機を救うのでは、と期待して見てましたよ。
この番組は都市間バスのテレビで見たので、最初の7〜8匹を見たところでバスが目的に到着して、そこでおしまい。
で、どうゆう結果になったかは、その番組を話題にしたBlogでわかった。
けっきょく「適切な行動」ができた犬は100匹中・・・・・・・全滅!
「この裏切り者!」
と、飼い主と視聴者の期待は失望にとって変わった。
なぜそうなったのか?
ごく常識には、犬は言葉をもってないので、概念というものが分からないとか、推論ができない、時間という観念がないということなどがあげられるとおもう。犬は常に「現在」にいるので、危険と利益情報は憶えていても、それ以外の記憶はたぶんあまり持続しない。
それと、もし血の出る外傷だったら、犬は多少なりとも事情が理解できたのかもしれない。でも内臓や脳などの異変には、どう考えて良いのか分からなかったのではないだろうか。皮膚の内部を見通す能力には、やはり抽象概念といったものが必要なのだ。
前に「犬には3歳児並みの言語理解力がある」という記事のことを取り上げたけど、じゃあ、やはり犬は3歳児以下かというと、そうでもないと思う。
たぶん3歳児も、もし親が倒れたらパニックになって、その場所に留まってると思う。で、もし兄弟や友だちが倒れたら、しばらくそこにいて、それから親などに報告に行くような気がする。
番組の犬のなかでも、どうしたのかと不安なしぐさをしていたのがいた。
でも訓練をやれば、どの犬も災難救助犬になれると思う。とくに飼い主と犬との関係が親密なものは。
そのとき、どんな異変があったとき・誰に報告するか、ということを決めていたら。
このようにして人間の思惑を超えて、犬は犬らしい行動をとったのだ。人間の作り上げた救助ストーリーは、犬にとって余計なお世話だ。
翻って、このようなすれ違いは人間関係でも起こり得る。たとえば親と子の関係や、上司や教師や友人関係でもいえる。
(と、ここでいきなりですけど)、ナワール(シャーマン)であるドン・ミゲル・ルイスによると、すべての人は独自の見方をもつストーリーテラーであり、いろんな関係の登場人物は、そこで作り上げたストーリーにフィットした二次的キャラクターでしかない。(同様に私にとって周囲の人たちは、私の作り上げた二次的キャラクターでしかない。) だから私たちはもはや自分のストーリーを他の人に押し付けたり、また自分が信じることを必死で守ろうという必要性はない。願望や投影や思い込みなどさまざまなペンキで塗り上げらたものは、私とは別物なのだから……、ということなどを言ってる。
というふうに、犬と救助行動のTV番組をいま読んでる本に結びつけてとらえました。
第2週水曜日フジテレビ「トリビアの泉」の話題なので、ほんとに出遅れなのだけど…、「飼い主が散歩中倒れたときに、適切な行動をとれるイヌは100匹中何匹?」というのをやっていた。
突然飼い主がフェイクで倒れて、それから犬がどういう行動をとるのかをカメラで撮影するというもの。
はたしてスイスのセントバーナード犬みたいに災難救助犬として活躍するのか? そして犬を対象にしたドッキリ番組みたいなものなので、あとで犬はヤラセとわかって 「な〜んだ、そうだったのか〜! ワンワン!」と言うか?
え? 後者の方は望み薄い? まあ、そうでしょうね。
でも何らかの方法で飼い主の危機を救うのでは、と期待して見てましたよ。
この番組は都市間バスのテレビで見たので、最初の7〜8匹を見たところでバスが目的に到着して、そこでおしまい。
で、どうゆう結果になったかは、その番組を話題にしたBlogでわかった。
けっきょく「適切な行動」ができた犬は100匹中・・・・・・・全滅!
「この裏切り者!」
と、飼い主と視聴者の期待は失望にとって変わった。
なぜそうなったのか?
ごく常識には、犬は言葉をもってないので、概念というものが分からないとか、推論ができない、時間という観念がないということなどがあげられるとおもう。犬は常に「現在」にいるので、危険と利益情報は憶えていても、それ以外の記憶はたぶんあまり持続しない。
それと、もし血の出る外傷だったら、犬は多少なりとも事情が理解できたのかもしれない。でも内臓や脳などの異変には、どう考えて良いのか分からなかったのではないだろうか。皮膚の内部を見通す能力には、やはり抽象概念といったものが必要なのだ。
前に「犬には3歳児並みの言語理解力がある」という記事のことを取り上げたけど、じゃあ、やはり犬は3歳児以下かというと、そうでもないと思う。
たぶん3歳児も、もし親が倒れたらパニックになって、その場所に留まってると思う。で、もし兄弟や友だちが倒れたら、しばらくそこにいて、それから親などに報告に行くような気がする。
番組の犬のなかでも、どうしたのかと不安なしぐさをしていたのがいた。
でも訓練をやれば、どの犬も災難救助犬になれると思う。とくに飼い主と犬との関係が親密なものは。
そのとき、どんな異変があったとき・誰に報告するか、ということを決めていたら。
このようにして人間の思惑を超えて、犬は犬らしい行動をとったのだ。人間の作り上げた救助ストーリーは、犬にとって余計なお世話だ。
翻って、このようなすれ違いは人間関係でも起こり得る。たとえば親と子の関係や、上司や教師や友人関係でもいえる。
(と、ここでいきなりですけど)、ナワール(シャーマン)であるドン・ミゲル・ルイスによると、すべての人は独自の見方をもつストーリーテラーであり、いろんな関係の登場人物は、そこで作り上げたストーリーにフィットした二次的キャラクターでしかない。(同様に私にとって周囲の人たちは、私の作り上げた二次的キャラクターでしかない。) だから私たちはもはや自分のストーリーを他の人に押し付けたり、また自分が信じることを必死で守ろうという必要性はない。願望や投影や思い込みなどさまざまなペンキで塗り上げらたものは、私とは別物なのだから……、ということなどを言ってる。
というふうに、犬と救助行動のTV番組をいま読んでる本に結びつけてとらえました。
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